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HISTORY 1 [音楽]

某MLに投稿されていたYMOがブレークする前の思い出が書かれたメールを転記します。
YMOが売れる前の状況を知らない私にとってはすごく興味深い内容ですし、当時の様子をここまで書かれた文章は貴重でしょう。

 1


Date: Sat, 12 Jun 1999 21:58:26 +0900
From: *****
Subject: Theme for "KAKUTOUGI"
To: *****
はじめまして、****です。
1979年、六本木ピットインで、格闘技セッションと言うシリーズのライブをやっていたのです。
今思うと、ものすごいメンバーで、私が見に行った5DAYSかな?79年4月かな。
矢野顕子5daysってのをやってたの。
それはフィーチャーリング 大村憲ニの日で、タイトルが、「矢野顕子5days withカクトウギセッション」みたいなのかな?
なので、それは本当のカクトウギセッションではないんだけど、アッコちゃんの5daysなんだけど、ちゃんとカクトウギ・セッションの日もあって、その日は、とにかく全部のメンバーが二人いるのよ。
しかもどういうメンバーかと言うと、すごいのよ。基本的にね、見て驚かないでね!
G:渡辺香津美、大村憲ニ
b:細野晴臣(当時ハリー・Jホソノとか書かれてた気もする、Jはないか)、小原礼(Ray.JOharaとか書かれてたかも)
key:矢野顕子、坂本龍一
Dr:村上ポンタ秀一、高橋ユキヒロ
で、バトルするわけ。
もうこれが見れなかったのが、一生悔やまれる。誰か行った人いない?
でもチケット取れなかっただろうなぁー、私も試験とかで行けなかったけど、死んでも行けばよかったなぁというかもしかしたら終わった後知ったかも。どんな内容だったんだろう。
多分、どの曲やったのかわかんないけど、ソロとかでバトルすんだろーね。あー見たーい!!!!(バタバタバタ)
曲も何やったか知りたいよー、探したらその時のチラシとか出てこないかなー、どっかにある気がするけど。
「村上ポンタ・スーパーショック79」のチラシはあるんだけど。(まぁそれもメンバーは同じよ)
私が見に行った日のアッコちゃん5daysのメンバーは、
アッコちゃん、教授(key)
小原礼(b)
ユキヒロ(DR)
大村憲ニ(G)
だったと思う。
で、この日は二人いるのはkeyだけなんだけど、要するに他のあと4日はベースが細野さんだったり、ギターが渡辺香津美だったりって感じだったと思う。
なので、メンバーはほとんどカクトウギ・セッションの人たちなのね。
当時YMOはまだデビューしたて(でもないか)で、誰も売れると思ってなかった頃。
私はたまたま冨田勲ファンで、郵便貯金ホールの「サウンドアドベンチャー・シンセサイザーランド」(FM東京)の公開録音を当たって見に行き、その時3アーティスト出て、YMOがデビューステージだったの。白いスーツ着て。
で、それで知って、78年11月に発売されたデビューアルバムを買って、当時のFMの朝比奈マリアが司会していた「アルファ・フュージョン・ラボ」と言う深夜番組を聞いたりしてたのね。そこで細野さんプロデュースの朝比奈マリアの曲を聞いたりして。
で、79年になって私も高校生になって、4/25かな?国鉄がストになったのよ。で学校が休みになったんで、近所の電気やの仲いいお兄さん(ジャズファン)とピットインに見に行ったんだ。ちなみにその時録音したのもある。教授のソロとかすごいよ。
で、私はYMOファンと言うより、当時ロッピ(六本木ピットインでローソンの機械ではない。あれはロッピー)でやってたフュージョンのシリーズが好きで、渡辺香津美が好きで、テクノとかより、YMOの皆さんの
フュージョンの課外活動が好きだったのね。
だからもー、ロッピに行きたくて行きたくて**に住んでたんだけど、しょっちゅうライブが見れなくても
ロッピに通ってはチラシ集めてたわけ。
当時はお昼ご飯営業もやっていて、これがもう忘れられないぐらいまっずい味でさー、もう驚いちゃったわよ。
六本木とか言うと、**県の田舎から出てきたら都会なのでもっとなんだか美味しいもの出してる気がしたのね、でももう、まずいまずい、なんだこりゃ、って感じで。
で、なんでしょっちゅう行ってたかって言うと、チラシもらうのもそうなんだけど(当時チケピとかまだないしね)ロッピの地下に続く階段の壁に貼っているポスターとか見たくて行ってたの。
写真撮ってないけど、当時、格闘技セッションの手書きのポスターとか貼ってて、それがねー。
なんか、でかく
「格闘技セッション」て太白抜け文字で手書きで書いてるのから、ちゃんと血がしたたり落ちてるのネ、赤マジックで(笑)
で、そのセッションの時、ずっと「カクトウギのテーマ」をライブで演奏してたんだよ。私が見に行ったときもやったと思う。
で、サマー・ナーバスに収録されるって聞いて、へーっ!って思って買ったんだけど、その年の夏かな?それとも高ニの夏かな?ぜんぜんライブと感じが違ってさー、ライブの方がいいなぁ、って思って。もともとスタジオでラインで録った薄い音嫌いなんで。
まぁそういうわけで、郵便貯金でYMO見て、香津美とか聞いてて、当時はもう雑誌のぴあしか情報源がないんで(あとアングルと言う情報誌があったか)目を皿のようにして、ロッピのフュージョン系のそのへんのひとたちが出るのを探してたの。
で、4/25?アッコちゃんの行って、その時、アッコちゃんの「ト・キ・メ・キ」とYMOのファースト(CDなんて当然ない時代なのでアナログ)を持って行って、終わった後、楽屋にサイン貰いに行ったの。
そしたらね、なんだか初老の豹柄のスーツを着たクラシカルなご婦人が隅の方に遠慮深そうにいてさ、なんかぼそぼそ教授と話してんだ。
したら、教授がそのご婦人に軽い回し蹴りをかましたのね、したらユキヒロが「あっ!お母さんにそんなことするなんて、ひどいじゃないか!」とか言って、つまり、教授のおかあさんだったのねー、とかレアな光景が見れたなー。
で、その時だーれもYMOのことなんか考えてなくて、ライブの中で、アッコちゃんが「この人達こういうのはじめたので買ってあげて下さい」みたいなコメントまであったぐらいで。
で、私、レコード持って、楽屋行ったのよ。サイン貰いに。
そしたら、私がYMOのレコード持ってるの、アッコちゃんが見て、「あっ!!!!!売れてるっ!」って言ったのネ。当時、まだそういう状況だったのネ。
その先火がつくのは、確か年末のグリークシアターからの凱旋ライブ(中野サンプラザ)の時。それまでは、周りに聞かせてもさー、「なんでこんなのがいいの?」って感じで、学校の友達も相手にしてくれなかったのよ。みんなバカよね。
大体11月ぐらいになるまで、スタジオボイスとか見ても、佐藤奈々子さんが「YMOの音楽からは東京は感じられない」とかわりとそういう批判的な感じで、もう、本当に東京の一部の六本木周辺に集うようなスノッブな人達?にだけ受け入れられてるって感じだったの。またそれがのどかでオシャレで良かったんだけどさぁ。
ところが、グリークシアター以降、凱旋ライブが話題になって売れちゃって、そこに2ndが出て、ライディーンがバカ売れして、テクノポリスがフジカセットのCMに使われ...と言う流れになって来たのは、皆さんご存知の通り。
でも、それまでは、上に書いたような状況で、のどかなもんだったんだよ。
皆さんフュージョン関係とか、スタジオでの仕事が多かったしね。
それがその後、みんな化粧するようになるわけよ。
私は、郵便貯金のデビューから、コマの前までは全部ライブは見たかな。
コマだけは、諦めたの。受験だったんで。
芸大の作曲科受けて落ちて、別の音大の作曲科に行きましたが。
でも昨日知ったんだけど、当時共通一次で9科目だっけ?学科。で大変だったけど、今ってセンター試験って、2科目しかないじゃんよ!
また芸大でもうけてみよっかな(笑)と思っちゃったよ。(なんか宇多田ヒカル日記的な文になってしまったなーぁ)
あの頃の話を書くと尽きないけど、そういうわけで、カクトウギ・セッションは、知ってる人もほとんどいないだろうけど(特にサマー・ナーバス聴いただけの人は、一体カクトウギセッションてなんだろう?って絶対思うだろうなぁ、ってあの頃から思ってた。曲もたいしたことないし、あのアルバムの中で、なんかちょっとあれだけカラー違わない?)
あのアルバムはねー、サマー・イリュージョンって曲だけ激好きでー、それだけずーーーーーっと聴いてたわ。高一の夏かなあ。79年だったら高一だ。
あー、あの頃使ってた機材とか色々思い出してしまいますね。
そういうわけで、私はやっぱり80年代より70年代の方が色々思いで深いんです。アンアンとか創刊したのもその頃だしね。
その頃のピットインの情報や、ライブメンバー知りたい人は、YMO関係の書籍もいいと思うけど、いける人は国立国会図書館に行けば雑誌が全部あるから、79年のぴあとか見ると、当時の気分になれて楽しいかもね。
では、長い投稿になりましたが、また。


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